ときどき怖くなる時。

こんにちは。

MAYURIです。

今日は「時々、恐くなるとき」です。

お化けの話ではありませんので悪しからず。

<前置き>

今回の話は凄く抽象的でもありディープでセンセーショナルな話でもあります。

もし、苦手な方は読み飛ばして頂ければと思います。

まず今回の軸は勿論”死”、”痛み”、”再発”をふとした時に考えてしまう時について私の私情たっぷりに持論をお話させて頂きたいと思います。

まさか、自分がこんなお題をブログに堂々と記事にしてしまうとは露ほどにも思っていなかったのですが…ある友人との会話で、私のように不安になる人もいるのでは?という思いから書かせて頂きました。

<諸注意>

今回、書くに当たり諸注意があります。

この記事によって、誰かを誹謗中傷する気はさらさらありません。

あくまで私の一思考と思って頂きたく存じ上げます。

又、現在の私自身の置かれている状況(ステージ、治療前、途中、治療後、余命など)などは一旦無視させて頂きます。

それは、人それぞれであり置かれている状況に合わせてカスタマイズしながら直接お話することは出来ないので心苦しくはありますが、隅に一旦おいた状態で考えたいと思います。

じゃあ、何を話すのか…?

 

<本題へ>

答えは、簡単で”私が怖くなった時には何を考えてるのか”です。

 

つまらないですか?

ですよね。

私自身もそう思いました。(笑)

 

ですが、人の思考とは分からないもので案外自分では予想もつかなった事を考えていたりもします。

なので、私の一思考の提案をしてみようかなと思いました。

前置きが長くなったので本題へいきたいと思います。

 

<私が怖くなった時…>

私が怖くなる時は、本当にふとした時です。

 

手術前は勿論、恐かったです。

それは、失敗してしまうんじゃないかという不安や治らないんじゃないかと言う不安からでした。

長時間の麻酔は初めての体験でしたので、表面的な説明はあっても実際に体験するのとでは大違いですから。

そして、手術後の痛みやいつこの痛みが終わるんだという漠然とした不安もありました。

後遺症に対しての疑問。看護師や主治医との関係性などについても。

その点の思い出の部分は体験談を読んで頂ければと思います。

 

そうではなく…

何か、恐い。何か、不安という気持ち。

それは、きっと目に見えないけどいつかはやってくると分かっている”死”に対しての漠然とした恐れからだと思います。

<何がきっかけで>

がん”という病を突き付けられ、突然自分自身に”死刑宣告”をされた様な気分でした

※実際には、私自身には余命は言われていませんし、今は余命宣告に対する定義も変わりつつあります。

 

治療までは苦しくて苦しくて、直ぐに自分が死んでしまうのではないか…しかも、苦しんでという根拠のない恐怖

 

治療後は再発するんじゃないか…しかも再発したら苦しんで死ぬんじゃないかという根拠のない恐怖。

 

そうなんです。

ここで、お気づきかと思いますが…恐怖というのは分からないから起きるんです

 

分からいないから怖い。

 

人は目に見えないものに恐怖する。

お化けが良い例ではないかと思います。

逆に見える方で見慣れ過ぎてる友人なんかは、動じなかったりします。

<そんな時に、私がしたこと>

そこで、私が考えたのがブログなどのネットの体験記や本を読むことでした。

実際に、他の患者さんの立ち合いなどはプライバシーもあるし人の尊厳や恐くて出来ないので、知るすべはその二点しかありませんでした。

ですが、そのお陰で少し冷静に捉えられるきっかけにもなりました。

 

<そこで、私が恐れている理由が分かる>

まず、結論から言えば、

おかしいかもしれませんが…人はそう簡単には死なないということです。

※誤解が生まれそうな言葉ですが、これは急性期の病気や突然死、事故死などではなくゆるやかな病気(症状)又は老衰などによる衰弱死など一部に限定します。

 

私は人の死に対してずっと傍で付ききっりで看取ったことがありません。

なので、死に対して漠然とした曖昧な部分があり、そこに”良く分からないけど何か怖い”という恐れがあったんだと思います。

 

そして、自分自身が”がん”を宣告され「苦しんで死ぬのではないか」という恐れ。

実は、これはたまに未だにふと考えたりしてしまう事はありますが、少しずつ知識を得る事で緩和して行っている感じです。

 

そして、最大の恐れが”自分はすぐに死んでしまうのではないか?”ということです。

 

この3つの恐怖が、私自身の頭の中でエンドレスにヘビーローテーションで駆け巡っていました。

 

<私の漠然とした恐怖を和らげてくれたものこと>

<1つ目の不安:死に対しての漠然とした恐怖>

まず、死に対して漠然とした恐怖があった私に一つの答えを提示してくれたのがこちらです。

老人ホームで長年、医師として現在も活躍されている方とがん放置療法を提唱している元慶応義塾大学の大学病院医師の対談本です。

なぜ、そう思えたのかはこの言葉が一番かと思います。

生きるためには「食べて、飲む」って、当たり前のことですよね。体が強く要求しますから。それを要求しなくなったってことはね。人は食べないから死ぬのではなく、「死に時」が来たからたべないんですよ。

体からはいろんなサインが出てるはずなんです。それに素直に従っていたら、自然だし無理がないし、間違いがないはずだと思いますけどね。もともと「死」は自然で安らかな物だったのに、医療が濃厚に関与したから死が不自然で悲惨で非人間的なものに変わってしまったんですよ。

P81.中村氏の言葉より引用

 

この言葉を裏付けるような数々の実例が記載されています。

実際に、治療を目的とする(前提)で働く医師と治療を(極力)せずに最後を見届ける医師とでは見ている目線や思考も違うだなと改めて知るきっかけとなりました。

確かに、”もっと生きたい”と願う私にとっては治療を共に目指してくれる医師の存在は必要不可欠です。

 

ですが、実際のこうした経験をした医師の言葉は治療を受ける私(患者)には聞こえてきません。

きっと、こんな一面もあると思えば少しでも眠れる日々があったのでは?とは思えずにはいられません。

これが全てだと私自身受け止めてはいませんが、この本で知り得た事は今後の私にとって生きると言う事を”死”という側面から見つめる時に大いに影響を与えたことはいうまでもありません。

 

<2つ目の不安:苦しんで死ぬんじゃないかという恐怖>

がんを放置したら、再発したら

がんが広がると痛くて苦しんで死ぬんじゃないかという恐怖』です。

これについては、過去記事ともう1冊の書籍によってより強く(がんは痛くない)そう思えることが出来たことが大きかったと思っています。

※これには実際に腫瘤が出来た部位や進行速度や年齢など様々な個人差があります。

 

ただし、一番のポイントは”痛みはコントロール出来る”ということです。

テレビの影響かモルヒネなどの医療用麻薬に対しての印象やその副作用は怖いという印象がこれまた漠然とあったのですが、実際の現場ではきちんと患者と医師が話し合って量をコントロールする術(身体的な痛みをどうとるかという指針が既に確立されています)を学ぶことが出来るし服用方法も注射だけでなく様々な方法があるという事を知ったので安心することが出来ました。

 

又、実際にその痛み止め自体もがんになったからと言って、末期になったからと言って全員が全員服用していない事実を知りました。

 

<3つ目の不安:再発したら急スピードですぐに死んでしまう恐怖>

これについては、以前書いた記事で私自身、解決しました。

詳細は割愛しますが、このお陰で”今日、明日ですぐには死なないな”と思え、”まずは今日1日をしっかり生きよう”という気持ちにシフトすることができました。

 

どんな人にも1日24時間という時間は平等です。

その時間をどう生きるかは自分次第なんだと改めて感じました。

 

死を嘆いて次の1分1秒をただ辛い時間にするのか、まずは窓の外を眺めて空を見上げて深呼吸して自然を自分を感じてみようとするのか。

それは同じ1秒であり、1分であり、1時間であり、1日なのだと

 

そして、何よりも大切なのが”私の死に時を私自身は今この瞬間、感じていない”ということを理解することに注力することが出来ました。

 

過去記事≪早く発見すれば助かったって本当?がんの転移っていつ?≫

過去記事≪乳がん歴13年?!余命って本当なんだろう…≫

 

そして最後にこの本との出会いによって、”ただ恐がってるだけじゃ駄目だ。もっとよく知ろう”と思えました。

過去記事≪「がん放置療法のすすめ」って何?その本質って?

過去記事≪健康診断で言われる「早期発見・早期治療」って本当に意味あるのかな?≫

 

そして、気づかない間に1つ1つの選択によって私が辿ってしまったという事実も。

過去記事≪知らなきゃやばい…医療リテラシーって何?≫

 

なんだか、最後は過去記事ばかりになってしまいましたが、どうだったでしょうか。

こんな風に考える人もいるんだね~と、思って頂ければ幸いです。

 

私自身も時々「再発したらどうしよう?」と不安にならないなんて言ったら嘘になります。その他にも後遺症の問題もあり、治療が終われば終わりではありません。

きっと、生きている限り尽きないだろうな~という予感はあります。

 

ですが、そう思うからこそ今こうして生きられる事に深い感謝の念が生まれます。

人は病気を通して生きると言う事を改めて、もしくは初めて考える人もいると思います。

本当なら”いつも考えたら?”と誰かに怒られそうですが…さすがに、頭がパンクしてしまいます。厳禁ですみません…

 

だからこそ、私は毎朝カーテンを開けて外を眺め「今日一日が無事にやってきた」と喜んでいます。

そして眠る前には「無事に今日一日過ごすことが出来ました」と喜べるようになりました。

更に、凄い事に家族と喧嘩した時にも気持ちが収まれば”もしこれで今生の別れになったら?”という気持ちがこみ上げてきてすぐさま”謝罪と自分のありのままの気持ち”を伝えられるようにもなりました。

ここまでは大袈裟かもしれませんがでも事実なので(笑)

 

そうして、1日1日を過ごすと人の人生が出来上がっていくのだと感慨深くなります。

 

そして、不安になった時はまずはその気持ちをまず肯定してげましょう。

隠さず、そう思った自分をまずは認めてあげましょう。

苦しい時は無理せず泣いて、溜まった思いは思い切り歌ってみたり文章にしてみたり又は誰かに(重くならない程度に)聞いて貰ったり。

 

そして、今日一日を自分の為に、どう生きるかを考えましょう。

Mayuriki.

1件のコメント

  1. ピンバック:がんの痛みは自分でコントロールすることが出来る? | with GUN.

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